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2019November15
〜講師への道のりvol.4〜 増田 好美先生
講師がなぜ、アロマの世界に入ることになったのか、
前職や学んでいた時のこと、転機、講師になったきっかけを追う大人気連載。
今回は増田 好美先生です!
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.最初のキッカケに遡ると話は長くなりますが・・・。
私は、新卒で流通企業に就職し、15年間厚生年金基金の部署で勤めていました。
事務職には特に不満も無く、どちらかというと自分の能力的には向いている方かなと思っていましたが、「やりがい」のある仕事だとは感じていませんでした(^^;
↑貴重な学生時代の写真
20代の私は、漠然と「30歳には結婚して家庭に入っているだろうなぁ」と思ってたので、家庭に入って出産、育児など考えると自分のやりたい事が出来なくなる時期がくるだろうなぁ~と考えていました。
なので、20代のうちにやりたい事をやっておこうと思い、海外・国内の旅行やスキーやスキューバ―ダイビング、マリンジェットやゴルフなど色々としていました。
そして、30代を目前にした時に結婚の予定は全くない状態でした・・・焦焦焦そして28歳くらいに「今後いつ結婚するかも分からないし、結婚して出産・育児することになったとしても、いつでも仕事で社会復帰できるように何か手に職をつけよう!
その職もやりがいのある一生やっていても飽きない、ずっと好きでやれる仕事にしょう!」と考えました。これが最初のキッカケです。そこから、「やりがいのある、一生続けられる仕事」探しになりました。
まず「自分が興味のある、好きなことを仕事にすると一生飽きずにできるのではないか?」と考え、「自分の興味のあること、好きなことって何だろう?」と自問し始めました。
すると、学生時代から心理学系の本を良く読んでいたことに気づき、「心理系」のお仕事といえば「心理カウンセラー」と思いつきました。心理カウンセラーの資格やスクールについて色々と調べている時に、偶然当時事務職の上司が関わっていた某心理カウンセリングセンターをたまたま知ることとなり、その心理カウンセラー養成スクールに学びに行くことにしました。アドバンスコースを卒業する頃に、気づき始めたのが「一生の仕事にするということは、一生毎日人のお悩みを聞き続けることだよね・・・その一生は私の望んでいる人生なのか?」と自分自身に問いかけてみると「私の望んでいる人生ではない・・・」となりましたので、別の「手に職」を考えるようになりました。余談ですが、この心理カウンセリングセンターに通っている時に、夏期講習で「NLP(神経言語プログラミング)」という3~4回の簡単な講座が有り、受講してみるととっても興味のある内容でしたので、米国NLP協会認定のプラクティショナー資格取得コースに進みました。これがアロマセラピストとしてのコンサルテーション時や現講師として人前で話す仕事に結果、生かされていくことになりました。
話は戻りますが、心理カウンセラーが私には向いていないと気づき、別の職・資格取得を探すことになり、次に興味があることは「香り(アロマ)」や「カラー」が頭の中で浮上してきました。
どちらを先に学ぼうかと考え、「アロマだと精油の効能を学べると、日常生活で自分の健康のケアにすぐ使える!」と思い、カラーよりアロマを選びました。
そして、アロマと決まってからアロマスクールを探す訳ですが、「ケイコとマナブ」の雑誌(当時はネットがこんなにも普及していない時代なので雑誌です)を見ながら、どこのスクールに通うか考えていました。当時は2002年頃ですので、アロマスクールもアロマトリートメントサロンも現在ほど無かったです。アロマという言葉すらメジャーではありませんでした(笑)大阪でもアロマスクールは5件あるかないかくらいだったかと・・・
そこで、JEAを見つけるのですが、なぜ目に留まったかと言うと「IFPA国際資格取得」と書いてあったのです。当時JEAは京都校のみでした。大阪から京都に毎回通うのか・・・と悩みました。
大阪に住んでいますので、大阪のアロマスクールに通えば良いでは?となりましたが、本気で学びたくなるとやはり国際資格がほしくなるだろうな?そうなった時に大阪のスクールから別の京都のスクールに入り直すことになる・・・それは嫌だな・・・でも、まだ学んでもないのに仕事にしたいくらい興味がでるのかも分からない・・・どうしょう・・・とかなり悩みましたが、もし、興味を持って別のスクールに入り直すくらいだったら、興味持つかは分からないけど最初からJEAの京都のスクールまで通おう!!と決意して、JEAのスクール説明会へ参加しました。そして、ギル校長のトリートメントのデモストレーションを見て、とても感動し、「ここのスクールのアロマテラピーが学びたい!!」となり、迷いが吹っ飛んで2002年4月のJEAに入学しました。
これが受講者名簿の写真です。
実は・・・スクールに入る前の私は、アロマの精油の作用・効能にしか興味がなく、トリートメントには全く興味がなかったです。
どちらかというと身体触られるのも、人の身体を触るのもかなり苦手でした(笑)
今からすると「別人」の私です(爆笑)
あと・・・人前に出るとか、人前で話すなんてもってのほかで大の苦手でした(笑)
今は毎日人前で話してますけど!!人生のいろいろな経験って、こんなにも人を変えるんだな〜と振り返ってみてシミジミ思いました。そんな私が直営サロンのモンサンミッシェルに勤めるキッカケになったのは、スクールの実技授業で、生徒同士が交代して実技練習する時に教えてもらった講師(現JEAのアロマフェイシャルとマタニティ講座を担当している立花先生です)の手のタッチの気持ち良さに感動したことでした。「私も人にこんなに気持ちが良いと感動させられるようなタッチでトリートメントが出来るようになりたい!!」と思ってしまったのが、現在のアロマの仕事を選ぶキッカケとなりました。
そして、IFPA資格取得コースを卒業と同時に、15年間の事務職から直営サロンのモンサンミッシェルのセラピストへ転職しました。2004年に千里店に入り、お客様に感動を与えられるようなタッチやトリートメントができるよう日々努力し続けました。そして2005年にサロンスタッフを研修するインストラクターを兼任し、スタッフが「お客様に喜んで頂いた!」と嬉しそうに話す姿や技術のレベルを上げていくことで喜んでいるサロンスタッフの姿をみるようになり、「教える」ということに段々と興味を持つようになり、「やりがい」を感じるようになりました。当時の千里店の時の写真です!若い!!
2005年からスクール講師とインストラクターとの兼任し、完全に講師のみになったのは2007年頃だと思います。
インストラクターとしてサロンスタッフに「教える」技術と、講師として生徒さんを「教える」技術とはまた全然違ったので、最初はかなりとまどいましたが、やはり生徒さんがアロマセラピストとして職について喜ばれている姿や家族にアロマでケアをして良くなったなど喜んで話しかけてくださる姿を見るととても嬉しく、今もその姿が見たくてやり続けています。当時、英国ハドソンスクールの校長クレア・マクスウェル・ハドソン先生が来日して実技の講座を受講した時の写真です。どれか私か分かりますかね?髪の毛が長い時代です(笑)
17年前、JEAに出会わなかったら、今の仕事を確実にしていなかったと思います。
本場イギリスのレベルの高いアロマセラピーを教えるJEAに出会えたから、現在の私が在るのだと思っています。私がサロンでセラピストとして、お客様一人一人を施術して健康のケアのお手伝いをするよりも、アロマセラピストを育て、
社会にアロマセラピストをたくさん輩出していくことで、 より多くの人々がアロマテラピーに出会う機会が増え、 アロマテラピーで心身の健康ケアが出来る人や日常生活に取り入れ る人達がどんどん増えることで、 日々の生活あるいは人生を豊かに送れる人々が世の中に増えていく ことが私の想いであり、希望なので、 現在もアロマテラピー講師を続けています。 バックナンバー
〜講師への道のりvol.3〜 阪田 香理先生
〜講師への道のりvol.2〜 細尾 智恵子先生
〜講師への道のりvol.1〜 松尾 薫先生
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